以前、セックスは「力」であり、そのことをはるか昔から権力者たちが一般庶民へひた隠しにしてきたものだということをお伝えしました。
詳しくは、こちら「女性なら知っておきたい、セックスは力である?隠されてきたセックスの真実とは??(前半)」をご覧ください。
あなたは、どこか「性」にまつわることを恥ずかしいものだと思っていませんか。
■性は聖なるもの
多神教の時代、「性」は「聖」なるものでした。
目には見えなくても世界に満ちているエネルギーの中で、一定の性質と志向性を持って力をあらわすものに、「神」という人格を与え、うやまった頃の話しです。
その頃、女神と男神の結びつきによって、世界のさまざまな事象が具現化されました。
神々のセックスは、女性エネルギーと男性エネルギーの交わりの象徴でした。
しかし、宗教がセックスを動物的な欲望におとしいれ、快楽として受けいれることに罪悪感をうえつけていったのです。
さまざまな宗教がある中で、共通なものは二つあります。
■性は聖なるものから堕落させるものへ
一つ目は、生殖目的以外で行うセックスは、人間から理性をうばい、堕落させてしまうものであるということです。
二つ目は、女性は男性を性という欲望へ誘う罪深い存在なので、純潔にふるまうようしつけておくべきだということです。
つまり、男性の欲望ばかりが問題視されていて、女性からの欲望は、ないものとすべし、ということなのです。
そして、その後もセックスの力をおそれた時の権力者たちに、その力は隠されてきて、堕落、罪悪感というものが現代まで残りました。
■セックスの持つ力「生命力を授けられる」
そこまで、時の権力者がおそれた力は「生命力を授けられる」ということです。
その力は、女性に身体に備わっている能力で、愛の営みの際に発揮されるものです。
その能力とは、女性は自分自身と性交中の相手との二人を巻きこむ大きな快感の波を生み出し、交わった相手に生命力を授けることです。
そう、女性が快感を感じることで男性に生命力を授けます。
なので、女性は決して罪悪感を感じることなく、快感を感じて良いのです。
いかがでしたか。
愛の営みで女性が相手に生命力を授けることができるなんて、驚きではありませんか。
性を恥ずかしいものと思ったときは、聖なる力を感じてみては、いかがでしょうか。